
アサーティブジャパン代表の森田汐生が、講座での感想や、日々の生活の中で感じたアサーティブネスにまつわるエピソードをアップしていきます。
過去の記事はこちらからどうぞ。
カテゴリー:講座から
2009.07.31
今年度から始まった新しい講座「アドバンス講座」では、昨年度までの「準備講座」以上に、アサーティブネスの「Being」について議論することしています。
その中でもくり返し皆さんにお伝えしているのは、アサーティブであることとは「目的」ではない、ということです。
アサーティブネスを学び始めると、何でもアサーティブに伝えなきゃ、アサーティブに伝えれば自分の気持ちや要求は相手に伝わる、アサーティブに伝えれば何事も丸く収まる、と思い込んでしまうことが度々あります。確かにアサーティブな態度や伝え方の方法を使うことで、攻撃的な言い方や受身的な言い方よりも、結果として「伝わりやすい」ことは確かでしょう。
ただし忘れないでいただきたいのは、「伝えるための方法」はあくまで「心」があって初めて生きるということです。つまり、本当に誠実に自分自身に向き合い、誠実に相手に向き合おうとしたとき、「結果として」アサーティブな態度になる、ということなのです。
アサーティブであるとは、本当に、心の底から自分の存在に敬意を払い、自分が大切な存在であることを認め、同時に相手の存在に心の底から敬意を払い、自分と同じように大切な存在であることを認めた上で真摯に向き合おうとするときに、自然に態度として現れてくるのではないでしょうか。
以前、アン・ディクソンさんが来日したときの講演会で、参加者の方が「アンさんにとって、アサーティブネスを一言で言うとすれば何ですか?」と質問をしたことがありました。彼女はしばらく考えた後、「そうですね、『自分自身にとって真実である(To be true to myself)』ということでしょうか」と答えたことを思い出します。
どこかにアサーティブなモデルがあって、そのアサーティブなモデルに近づくのではなく、実はより自分自身に対して真実になること、それが私たち一人ひとりにとってのアサーティブネスであるということなのです。自分自身に正直であること、ロボットではなくヒューマン(人間)であるということ、でもあるのではないかと、私自身は思っています。
方法とマインドと。どちらも大切なことですが、方法だけが一人歩きしないよう、マインドを本当に大切にしながら、自分自身にとってのアサーティブネスを探っていっていただきたいと思います。
カテゴリー:出張から
2009.07.24
アサーティブネストレーナー養成講座も、いよいよ最終プレゼンテーションとなりました。先週末の連休は、10回の講座の第9回目。来月が最終回となります。
いつもは大阪梅田のど真ん中にあるビルの中で研修を行うのですが、今回は宿泊研修ということもあり、京都の修学院の近くにあるホテルで行いました。ビルの谷間の風景とは全く違い、川があり山がありお寺や寺院があり、気持ちはちょっぴり旅行気分です。
私は毎朝5時半頃に起き、子一時間、ホテル周辺の散歩をじっくりと楽しみました。比叡山を遠くに見ながら、いくつものお寺や神社を見て回りました。朝早かったので参拝することまではできませんでしたが、夏の緑と朝もやの美しい風景を心から堪能し心の奥が癒される時間となりました。
私自身は岡山の南の小さな町に生まれ育ち、周りは山や海、田んぼや川に囲まれたところで子どもの頃を過ごしました。ですので、このような緑の多い風景に身をおくととても懐かしい気持ちになります。普段、都内に出るときも地方都市に出るときも、ほとんどが電車や新幹線を使い、アスファルトの道を歩くばかりなので、今回の京都の時間は特別の宝物の時間をいただいたようでした。
やっぱり人間、自然の中に身を浸すというのは大事ですね。コンクリートとアスファルトの中にばかりいると心がギスギスしてくるのですが、自然の中にいるとほっこり優しい気持ちになります。今回は仕事だったため朝の時間だけでしたが、今度は純粋に観光だけで来ようと心に決めたのでした。
緊張気味の参加者の皆様には申し訳ありませんでしたが、私自身はとても癒される時間をいただくことができました。
養成講座も来月が最終回。来月はまた大阪のど真ん中です。暑い夏の8月。受講生の方々と共に、引き続き最後までがんばりたいと思います。
カテゴリー:講座から
2009.07.16
今週号の『AERA』の内田樹さんの記事のタイトルは、「本当の『コミュニケーション能力』」。
最近の学生さんが「コミュニケーション能力」を上げたいと言うことに対して、内田さんは言います。「コミュニケーション能力とは何よりもまず『コミュニケーションの場を立ち上げる能力』であり、自他を結ぶ通信の回線が『生きている』ことを確認するいくつかの手だてを知っているということ」だと(『AERA』(7/20号p13)。
私も最近の学生さんたちを見ていると、コミュニケーションの場自体が失われつつあることを感じます。
というのも、彼らにとってイヤな人間関係は切ればいい、思うとおりに動かなければ機械のように交換すればいい、切り捨ててしまえばいいという感覚があるようだからです。しかも、メールを使って、です。
メールでは、イヤな気持ちや反論なども、簡単に相手に送ることができてしまいます。結構きつい発言も、メールで書いてポンと送信すればアッという間に相手に届き、相手の反応を直接見なくて済むので、送信した側はそのときはすっきりします。相手がどれくらい動揺したかは、その場ではわかりません。そして、相手から痛い反応が返ってくれば、その人との関係を切ればいいのです。
学生さんたちの様子を見ていると、きつい言葉をメールで送ることは簡単にできても、直接会ってきついことを伝えるのは苦手だと感じている人がほとんどです。
相手に耳の痛いことを伝えなければならないことも、人間関係にはたくさんあります。イヤな関係を続けなければならないことは、会社でも親戚づきあいでも、山ほどあります。コミュニケーションを取るということは、言いたいことを言うだけではなく、言いたくないことを言わなければならないことも含むからです。
学生さんたちに伝えなければならないのは、どのようにコミュニケーションを取るのかではなく、むしろ「なぜコミュニケーションを取る必要があるのか」。メールで済ませず、なぜ顔を見て話し、イヤな気持ちも味わい、腹を立てたり嬉しく思ったりしながら一緒にコミュニケーションのプロセスを共有することが必要なのか、ということになっています。
メールやインターネットの発達は、私たちのコミュニケーションの領域をこれまで以上に大きく広げてくれました。しかしながら、コミュニケーションとは、単に文字情報を伝えるだけのものではありません。思いや深い感情の動き、言葉にならない部分の心の痛みや悲しみ、喜びも含め、トータルなものとして相手を理解していくことが、コミュニケーションではないでしょうか。内田さんの言う『コミュニケーションの場を立ち上げる能力』があって初めて、そうした相互理解のプロセスが可能になるのだと思います。
カテゴリー:事務局から
2009.07.06
先週からアン・ディクソン氏来日イベントの一連の講演会やワークショップの先行お申し込み受け付けが始まりました。予想以上にたくさんの方々からの申し込みが続いていて、事務局では嬉しい悲鳴を上げています。
3年半前の一連のワークショップを行ったときよりも、参加を希望される方々の意識が高くなっているなあと感じます。「アサーティブ」という言葉がかなり市民権を得たことと、社会や組織の構造がこの3,4年で大きく変わり、個人のコミュニケーションのスキルに関するニーズが非常に高まっているからなのかもしれません。
東京で行う週末の研修のテーマは、「力関係と真の対等性」というものです。以前にアサーティブジャパンの会員だけを対象に行った研修を、今回は一般でも取り扱います。アサーティブに"振舞う"だけでなく、心の中のまなざしも含めて相手を本当に対等に関わろうとしているかについて、深く考えるものとなるでしょう。
今年の4月に、会員向けのワークショップの記録がブックレットになりました(一般では非売品)。それを読み返すと、相手を絶対に攻撃しないで向き合い静かに対話することのパワフルさと、心の芯が震えるほどの感動をまざまざと思い出します。アサーティブネスという概念の理解が更に深まっている今回は、どんな深い議論になるだろうかと思うと、今からワクワクします。
アン・ディクソンさん自身もこの間、大学院に入り直して環境学や政治学を学んだと聞きました。そうした学びが今回のお話の中でどのように展開されるのかも楽しみです。
もう一つ、私が個人的にとても楽しみにしているのは、会員のみを対象とした2泊3日のワークショップ、「セクシュアリティ」です。
私はイギリスでアサーティブネストレーナーの資格を取得した翌年に、更に深い学びを深めるために同じトレーナー協会で「セクシュアリティ」のトレーナーの資格を取得しました。アサーティブネスが日常生活や職場での対人関係のアサーティブネスであるとすれば、セクシュアリティは相手と向き合う以前に自分自身と向き合い、過去も現在も含めた自分自身を丸ごと受け止める試みであるといえます。セクシュアリティを学んで、心と身体を含めて本当の意味でトータルにアサーティブネスを学べたと思っています。
そのセクシュアリティですが、実は今回が彼女による最初で(もしかすると最後の)セクシュアリティの講座となるかもしれません。すべての時間を楽しみつくしたいと思います。
イベント参加をお考えの方、「先行申し込み」をお勧めします。でないと、8月にはすでに定員になる可能性もありますので・・・。
カテゴリー:汐生の思い
2009.06.26
このタイトル、実は昨年10月にアメリカでのアサーティブネス研修を受けたときに印象に残ったフレーズです。さすがアメリカ、キャッチフレーズは本当にうまいですね。
ちなみにこのフレーズ、私自身にはとても納得のいく表現です。コミュニケーションの上手下手に関して「性格の問題だ」と思われている方が多いようなのですが、決してそうではないと声を大にして伝えたいと思っています。
一般的に「社交的」であればコミュニケーションは上手、「非社交的」であればコミュニケーションは下手。人づきあいの上手下手は、そのままコミュニケーションの上手下手と重なるものである、というのが一般的に思われていることではないでしょうか。
確かに社交的な人はコミュニケーションに苦労していないように(私には)見えます。知り合いにもいますが、誰とでも楽しくおしゃべりを楽しめる社交的な人は、パーティーでもいろんな人と話して友達になり、飲み会では場を盛りあげ、コミュニケーションを心から楽しんでいますよね。その人の周りには自然と人が集まってきますよね。
その点からすると私は、パーティーでは「壁の花」、飲み会ではもっぱら聞き役(というよりも夜がめちゃめちゃ苦手なので、そもそも参加しない)、テレビを見ないので世間話やお笑い情報についていけない、そんな人間です。子どもの頃から、「この子は話ができない子だ」と親に心配されていましたから、その意味では「社交的」からはかなり離れた人間だと思っています。
コミュニケーションの中でもアサーティブネスは、社交的かどうかではなく、「伝えたいこと・言わなければならないこと・言いづらいこと」を「相手を尊重して伝わるように話す」というスキルです。ですので、どんなに私のような「非社交的」な人間でも、訓練すればできるようになるのです。
言うべきとき、言わなければならないときに、適切にコミュニケーションが取れるということと、性格が社交的か非社交的かということは(それほど)関係ありません。「それほど」、というのは、非社交的な人は、コミュニケーションを取る場が少ない(あるいは少なく選択する)ため訓練の場がなく、その結果コミュニケーションが上達しない場合が多々あるためです。
「自分は性格が・・・」と思う必要は絶対にありません。パーソナリティとコミュニケーションは別物。性格を変える必要はありません。あなたはあなたのままで大丈夫。でもコミュニケーションの仕方は変えられます。あきらめずにチャレンジしてくださいね。
![]()