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AJ代表日記

アサーティブジャパン代表の森田汐生が、講座での感想や、日々の生活の中で感じたアサーティブネスにまつわるエピソードをアップしていきます。
過去の記事はこちらからどうぞ。

腹を立てることと誰かを責めることとは違う

カテゴリー:講座から

2012.06.29

先日、トレーナー養成講座で「怒りに向き合う」というテーマで復習を行いました。これはアサーティブに対処するには難しいテーマの一つであり、これまでの生い立ちや生まれ育った環境、身近な人たちの表現から学んだことと大きくかかわっている部分です。

応用講座に参加される方からは、「怒りをアサーティブに表現するにはどうしたらいいのでしょうか」という質問をよくいただきますが、残念ながら自分の怒りをそのままストレートに表現すると、人間関係に悪い影響を与えてしまうやっかいな感情でもあります。

私たちは腹が立つといとも簡単に、「怒る理由を与えた相手」を責めるか、「怒る原因を作った自分」を責めるかのどちらかになってしまいます。つまり、「怒ること」=(イコール)「責めること・攻撃すること」となっているのです。

一つ覚えておきたいことは、「腹を立てることと、誰かを責めることとは全く違う、ということです。怒るのは「誰かのせいで怒る」のではなくて、「自分が腹を立てている」、もっと言えば「自分の中に怒る種(地雷)がある」ということであり、それは自分の問題であり自分の責任で受け止めるしかありません。

とはいっても。私自身、日常の中で身近な人によく腹を立ててしまいます。とりわけ小さな子どもを抱えていると、日々の些細なことに腹が立ってしまうのです。
「なんで相手は、〇〇をしてくれないのだろう」
「どうして相手は、××なのだろう」
攻撃の対象は、いつも「相手」。

自分が勝手に期待して、その通りにやらない相手に腹を立ててしまうのです。その結果、相手を責めては反省する、をくり返し、「そうだ、そうだ、これは私の問題だ」と怒りを自分に引き取っている、そんなことをくり返しながら学んでいる毎日です。

怒りの矛先が相手に向いて100%責めのモードに入りそうになったら、一旦立ち止まって考えてみるといいのかもしれません。

ここで自分ができる一つのことは何だろう。
相手を100%責める前に、自分の側の50%の問題は何だろうか。

怒りは、自分を前に進めてくれる「生きるエネルギー」です。ですから、うまく使うと元気になりますが、使い方を間違えると人間関係を壊してしまいかねません。「ちょっと立ち止まって考える」習慣を作って、上手に日々を回していくことを、私自身も忘れないようにしたいと思います。

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迷惑をかけあってこそ

カテゴリー:汐生の思い

2012.05.09

先日、知人がこんな話をしてくれました。

一人の同僚が個人的な事情で仕事を辞めてしばらくした時、「ちょっと大変そうだから行ってみて」と別の同僚に声をかけられて、彼女の所を訪れたそうです。

元同僚が住んでいたのは、以前はとても賑やかだった大きな団地の5階の部屋。エレベーターがないために上り下りすることがしんどくなり、買い物にも行かずゴミを出すこともできず、足腰が弱ってすっかりやつれていたそうです。

「大変だったら声をかけてよ」と言ったところ、「大丈夫、大丈夫、誰にも迷惑をかけたくないし」と彼女。よそ様に迷惑をかけたくないということで、買い物をすることもゴミ出しをすることもなく、食事も満足にとらないでいたとか。知人は大量の買い物をして食事を作り、外に連れ出したのですが、「これから大丈夫かしら...」と心配していました。

「迷惑をかけてはいけない」という私たちの思い込み、「自分でやって一人前」という社会の通念。そうしたことが、「助けて」と言葉を発することを妨げているのでしょうか。

振り返ってみれば、私自身は、障害を持つ人たちと長い間深くかかわってきたということで、助けを求めるハードルは低くなったように思います。当たり前のことですが、障害を持っていれば日常生活のすべてにおいて「〇〇をやってください」と頼まなければ生きていけません。まずは頼んでみて、難しかったら相手は断るだろう、そうしたら「じゃあ、どうしようか」と話し合えばいい、というのが彼女たちのスタンスでした。相手がどう思うだろう...、嫌な思いをさせたらどうしよう...、というよりも、まずは頼んでみてそれから始まるというスタンス。それは、とてもアサーティブなコミュニケーションに近いところにありました。

「孤立死」という言葉が聞かれるようになった今、もう一度私たちは「迷惑をかけあわなければ生きていけない存在」であるということに、立ち戻ってみる必要があるように思います。ちょっと嫌なことがあってもそれはお互い様。嫌な思いをしたら「私は〇〇に困っているから、これからは△△してほしい」と率直に伝えてみればよいだけ。我慢するのでもなく、怒りを爆発させるのでもなく、誠実に率直に言ってみて、そして相手がノーであれば、別の方法を一緒に考える。

それくらいかかわり合う、踏み込みあう。

孤立死やメンタルな問題を防いでいくために、ますます私たちの人間関係のコミュニケーションの力が問われていくのでしょう。人とかかわり合う力を、もっともっとつけていくようにしていきたいと思います。

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新年度に入って

カテゴリー:汐生の思い

2012.05.06

GWも終わり、いよいよ新年度も軌道に乗ってきたのではないでしょうか。私自身、子どもたちが保育園に通うようになり、仕事と育児の両立がやっとできるようになってきました。新米ママであるために戸惑うこともたくさんありますが、それでも日々二人の成長ぶりに新しい発見や驚き、喜びをかみしめている毎日です。

朝の保育園で感じることは、イクメンパパが本当に増えてきたな~ということです。朝の登園時間にベビーカーを押しているパパさんたちにたくさん出会います。女性と男性の家庭での役割はなかなか変わりませんが、こと「子どもに関わる日常」に関する限り、男性の参加はこの10年で飛躍的に増えてきたというのが実感です。

出張先の研修でも、若手の男性の参加者の方に、「仕事以外で好きなことは何ですか」と尋ねると、「子どもと一緒に過ごすこと」という答えをいただくことが、この10年で本当に増えてきました。以前だったら「そんなことを言うのは恥ずかしい」という「空気」があったのですが、今では20代、30代の男性がとても楽しそうに「子どもといる時間が好きだ」と答えてくれるのです。

これについては本当に隔世の感を禁じえません。
私がアサーティブトレーニングを始めるようになった1990年代半ばの頃、仕事をする女性たちの課題の中には「お茶くみを断りたい」や、「夫に子育てに参加してもらいたい」というようなものが多くみられました。でも今では「お茶くみ」なんて言葉は死語になりましたし、最近は男性が女性のパートナーに「部屋を掃除してほしい」などの課題を出すようになりました。

もちろん課題はまだまだ山積みですが、それでも時代は動いているのですよね。若い世代の人たちは、夫婦で働き家事をシェアし、ということが、むしろ当たり前のことになっているということに、バブル世代の私は新鮮な驚きを感じます。より対等になってきたパートナーたちが、お互いを大切にしながらしっかりとコミュニケーションをとって子育てにかかわっていったら、また次の世代は変わっていくのではないかと、ちょっぴり希望を感じている今日この頃です。

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こころの力を鍛える

カテゴリー:汐生の思い

2012.03.19

震災から1年がたち、今、この1年を静かに振り返っているところです。今回のような大きな出来事に遭遇した時に、自分の中のいったい何に向き合う必要があるのか、自分のこころの力をどのように鍛えたらいいのか、少しずつ見えてきたように思います。

考えているのは、私たちの次の3つの「こころの力」についてです。

一つ目は、感じる力です。去年の今頃私は、不安と動揺、混乱と怒りの渦に飲み込まれそうになっていました。しかし、自分のネガティブな感情にフタをしていると、他人の言動に腹が立ってくるんですね。何であの人は○○しないのだろう、とんでもないやつだと文句を言いたくなる。でも、相手ではなくて、不安なのは自分なのですよね。つらかったり迷ったりしているのは自分自身なんだと、きちんと自分の不安に向き合う必要がある。そうすることで、むやみに周囲に振り回されなくなります。

二つ目は、感情と思考を分けられる力です。確かに不安や動揺はある。その上で「だから、自分はどうしたいのか」と、自分のアタマに問いかけて考える。感情はコントロールできませんが、自分の考え方や行動はコントロールできます。誰かが言ったから、あの人が○○だからと、自分の言動を他人のせいにすることなく、自分で感じたら、次にちゃんと考えて、そして自分で決めていくこと。言った、あるいは言わなかったことの責任は、自分が覚悟して引き受けること。不安だから黙ることも、不安だから行動を起こすことも、すべて自分の言動の選択肢は自分が持っていることを、忘れないことです。

そして第三に、共感する力です。自分の痛みだけではなく、他者の痛みにも向き合うことのできる力です。しんどい時には「なんで自分ばかりが」と考えがちですが、「つらいのは自分だけではない」と考えてみる。

震災を体験して、誰もがその人なりの痛みを抱えることになりました。私のように都内にいて大きな被害を受けることのなかった人間も、身近な人が実は被災した身内を持っていたり、大切な誰かを失ったりという痛みを抱えている事実を知って言葉を失いました。誰かに対して「どうして?」と腹を立てる前に、「この人も苦しんでいるのかもしれない」と一歩踏み込んで想像してみる。そうすることで、共感と思いやりが生まれるように思うのです。

そんな気づきを今後の自分の指針として、震災後の新しい1年を、丁寧に、生きていきたいと思います。

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プロであること、人間的であること

カテゴリー:汐生の思い

2012.03.06

今回長期の入院をし、医療の現場の方々の仕事ぶりを目の当たりにして、何度も頭が下がる思いをしました。

医療現場の方々の研修を担当させていただくことも多いので、ある程度想像できてはいましたが、それでも自分が「患者」、つまりケアを受ける側の立場(弱い立場)になると、見えてくるものがずいぶん違ってくるものです。

三交代のため日勤を終えて、仮眠をとってから再び夜勤に入り、夜も朝も変わらず優しい笑顔で接してくれた看護師さんたち。一日中、小走りで動きながらてきぱきと仕事をする様子、患者さんの退院を心から喜んでいる姿、手術の前で緊張している人に「大丈夫ですよ」と力強く声をかける様子、涙している患者さんの肩に優しく手を置いている姿。

そうした現場の看護師さんたちの言葉かけや態度の一つひとつが、心が弱っている患者の心にまっすぐに届くのだと、つくづく思います。改めて、命に係わる現場のスタッフの方々の献身的な仕事ぶりに、心の底から感謝したいと思いました。

もう一つ、今回本当にお世話になったのは、担当医の先生たちでした。この数年の間、ずいぶんたくさんのドクターにお世話になってきたのですが、今回はすばらしいドクターに出会いました。

「ドクター」といえば、どうも権威的で近づきにくくて、話しづらい、というケースがありますよね。上から目線の機械的な話し方で、嫌な印象を持ったり、不信感を抱いたりということも、残念ながらありました。「ここには二度と来ないだろうな」と思いながら、病院を去ったこともあります。しかしながら、この間お世話になった3名のドクターは、本当に対等で誠実で真摯で、そして心の底から患者のためにベストを尽くしてくださっていることが伝わってくる先生方でした。本当に私はラッキーだったなと思います。

特に今回担当医だったT先生は、どんなに仕事が遅くなっても、必ず入院している私を朝晩診に来てくださり、診察時には毎回「お待たせして本当にごめんなさいね」と一言添え、私のわがままな要求に対しては厳しくも愛情をもってきっぱりと「ノー」を言ってくれました。信頼できる先生に出会って、最後までプロセスを診ていただけたことを、今も心から感謝しています。

一人ひとりの患者にしっかりと向き合い、真摯に誠実に対応してくれたドクターに、退院後感謝の手紙を書きました。書きながら、思わず泣いてしまったのですが、それほどまでに、患者であることは傷つきやすく弱い立場なのだなと痛感します。だからこそ、医療の現場では「プロフェッショナル」でありかつ「人間的」であることが求められるのでしょう。

本来「プロフェッショナルである」ということは、私たちの心の持ち方、仕事への向き合い方と同時に、人を深く愛する力を持っていることであるのだと思います。そうした人間としての力を、私自身ももっと高めていきたい。改めて、そんな大きな学びをいただいた体験となりました。

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