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AJ代表日記

アサーティブジャパン代表の森田汐生が、講座での感想や、日々の生活の中で感じたアサーティブネスにまつわるエピソードをアップしていきます。
過去の記事はこちらからどうぞ。

差別発言にどう向き合うか

カテゴリー:汐生の思い

2015.09.18

パワハラ、セクハラ、アカハラ、マタハラ、家事ハラ、オワハラ、デブハラ...。ハラスメントにかかわる社会の意識が高まってきています。言葉の認知が高くなり、「これを言ってはいけない」「あの言葉はNG」という認識は広まってきましたが、実際に差別発言を受けたり、見聞きしたりした時の、その場の対応は簡単ではありません。

ハラスメントで共通しているのは、社会的に「優位」とされる側に立った人から、そうでない立場の人への、対等ではない(下に見た)関わり方です。従って、ハラスメントの防止とは、本質的に私たちが、尊厳ある一人の人間として自分と相手を対等に扱い、お互いの人権を尊重できるかどうか否か、という私たちの意識と深く結びついています。

ハラスメント予防を「言葉狩り」としてとらえるのではなく、私たちの他者と関わる姿勢として、アサーティブ的に考えるとどうなるのでしょうか。つらつら考えておりますが、コミュニケーションの点とマインドの点で次のようなものなのかな~と、現段階では思っております (あくまで、何気ない差別発言について述べていきます)。

〇差別発言を直接言われた時には、なるべく早い段階で相手に自分の正直な思いを伝える

相手が悪意を持って攻撃してくるとき(明らかに"ブラックの"ハラスメント発言)は別として、何気ない差別的な一言を言われることでも私たちは傷つきます。そんな時は、発言した本人に直接自分の気持ちを、早い段階で伝えた方がいいでしょう。

「その言葉、私は嫌です」「それって、正直傷つくんだよね」「その言い方、自分は好きじゃないな」など。相手が一人である時をねらって、直接本人に、率直に伝えます。

伝える時は、なるべくサラリとさわやかに。怒りに燃えて反撃したり、ねちっこく責める言い方ではなく、明るく"サラリ"、がポイントです。

早い段階でというのは、回数が重なってくるほどに、伝えるためのエネルギーが大きくなり、思い切って言おうとすると攻撃的になってしまうからです。言わなかった回数が過去に多いほど、「あの時も、この時も」と過去をひっくるめて相手に反撃したくなり、その結果、相手の態度を硬直化させてしまいますので、ご注意を。

〇別の人への差別発言は、きっぱりはっきり「No」と伝える

ハラスメントは当事者同士の問題にとどまらず、それを許している環境、見て見ぬ振りをしている周囲の人たちが、問題を更に悪化させます。なので、発言を見たり聞いたりしたときは、これも早い段階で本人に直接伝えます。

関西弁には「それはアカン」という素敵な表現があるのですが、東京弁ではなかなか難しくて迷いますが、妥当なのは「それは、まずいよ」などという感じでしょうか。事実をはっきりと指摘し、率直に、対等に、そして思いやりをもって伝えてみて下さい。

上の二つは、伝え方がとっても難しく、責め口調か遠回しな言い方になってしまうので、アサーティブに言うには練習が必要となります。

〇自分をおとしめない

差別発言を受ける側になるということは、ある意味社会的に「優位ではない立場」に置かれるために、たとえ言った側と言われた側が一対一であったとしても、必然的に一対多の構造の中に投げ込まれます。差別発言は社会的な優位性と多数性とともに発せられますので、受ける側にとってはとてもとてもダメージが大きいのです。

アサーティブに差別発言に向き合うためには、何よりも自分という存在に対する誇りを忘れないことが大前提です。たとえ社会的に劣位である(立場や職位、年齢が下、少数者・マイノリティである、所有や経験が少ないなど)場合であっても、どんな時でも自分への"人間としての誇り"を失わないこと。

そこに立っていれば、相手の「優位vs劣位」のパラダイムに足をすくわれることなく、毅然として相手と対等に向き合うことができるようになるでしょう。

〇相手を責めない

差別発言をしてしまう人を、「人としてどうなの?」と批判したり、思い知らせるために攻撃し返すことは、あまり効果的ではありません。発言者を批判的な目で見るのを止めて、「この人は単に知らないだけかも」というくらいの慈しみの目で見てみる(難しいですが!)。

相手の差別発言や弱点、欠点、無知が本当の問題ではありません。問われるのは、それに対して私たちがどう振る舞い、どんな対応を選択して、将来に対して何をするのか、ということ。

差別発言に対して、攻撃的に反応することもできれば、言葉を飲み込んで恨みをじっと抱えることもできる。でも、相手を責めることなく思いやりを持って、その発言がどんなに人を傷つけるかを、誠意を持って教えることもできるのです。

アサーティブでお勧めしているのは、「相手を味方につけるつもりでコミュニケーションを取る」ことです。攻撃し返して相手を更なる敵に仕立て上げるのではなく、相手をこちらの味方にする。その意識を持つだけでも、こちらの伝え方は大きく変わります。

〇自分も加害者になる可能性があることを意識しておく

ハラスメントや差別発言から全てにおいてクリアーになることは、この社会に生きている限り難しいんじゃないかと、私自身は思っています。どんなに気をつけていても、意識していても、自分が相手との関係の中で「優位」に立ってしまうことは、充分にあり得ること。

なので、自分も加害者になるかもしれないことを意識しておきましょう。

思わぬところから「あなたは加害者だ」と言われることもあります。その時に、防衛的に反撃するのではなく、どんなに心当たりがなくても、相手の感じたことを尊重し、「それくらいのことは許容すべきだ」という考えは捨てて、「それは申し訳なかった。あなたの気持ちを傷つけてしまったことは、本当にごめんなさい」と、誠実に答えることができるように、心の準備をしておく必要があるのでしょう。

以上が、現在のところ考えていることです。
もう少し考えながら、11月の短時間の講座に臨みたいと思います。


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変えられるのは自分だけ

カテゴリー:汐生の思い

2015.07.17

アサーティブに自分の気持ちを伝えたいと思う時、肝に銘じておかなければならないことの一つに、「相手を変えることはできない、変えられるのは自分だけ」ということがあります。目線と言葉の矛先が「相手」に向いている限り、どんなに表現を磨いても、どんなに理論的に伝えても、やっぱり相手の心に届かないし、状況は変わっていかないのですよね。

ただ、自分の中の「何を」変えることが、自分も相手を責めないことにつながるのかを見極めるのは、結構難しいなと思います。自分の中の変えるポイントを見誤ってしまうと、やはりうまくいかなくなる。

私自身も思い当たることがあります。

仕事はともかくも、プライベートに関することは、何かを言われると結構凹みます。きつい言葉を投げつけられたとき、ついつい「〇〇は言わないでほしい」「△△はしないで」と感情的に反撃しそうになってしまう。心の中で呪文のように、「相手を変えるのではなく、変わるのは自分」と唱えながらも、自分の中の「何を」変えることがそうなのか、長い間、手探り状態でした。

感情的にならないようにしよう
反撃をしないように、ひと呼吸おこう
心を落ちつけて、対応しよう

怒りを抑えるための様々な対処法を試してみましたが、やっぱり相手の言葉に反応してしまう自分はなくなりません。自分の中の目線が相手に向いたまま相手がどう出るか待ち構えている状態では、やっぱりうまくいかないのです。

そうでなくて、相手がどうであれ、自分自身のありよう、心のもちよう、を変えること。自分自身に対する自分の"見方"を変えること。そのツボはどこだろうと、つらつら考えておりました。

ふと気づいて、ああ、そうだと思ったのは、
「過去の自分を責めることは、もうやめよう」
ということでした。

あれができなかった、こうすればよかった、あれをすべきでなかった...、過去の自分を許せていない限り、過去に対しての批判にはつい防衛心が働いて感情的に反応してしまうのですよね。

そうではなくて、できなかったことはできなかったのだ、過去の自分もかけがえのない自分。そんな私もOKだし、精一杯がんばったのは事実。
でも、「今」と「これから」は、自分で変えることができる。
だから、過去の自分を責めることは、もうやめにしよう。

そう決めた時から、きつい言葉に反応することがなくなりました。

相手に反撃したくなるのは、ほとんどの場合、自分を正当化したいから。自分を防衛したくなるからこそ。だからこそ、まずは自分を責めない。過去の自分も100%、「それで生きてきた自分もよし!」と許してあげられること。そうすれば、相手に振り回されないし、周りにも寛容になれるのでしょうね。

頭でわかっていても、ついつい入り込んでしまうこの迷路。
アサーティブ、修行、修行。
自分に言い聞かせているこの頃です。

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ハラスメント防止のためのコミュニケーションを

カテゴリー:汐生の思い

2015.02.18

昨年の夏以降、私は「ハラスメント予防」という目的でのアサーティブ研修で走り回っておりました。これまでも、社内のコミュニケーションの改善を目的とした研修のご依頼は多くあったのですが、この1,2年はハラスメントの防止、メンタルヘルス予防という目的で、日常のコミュニケーションのあり方を変えていかなければと考える組織が多くなってきたように思います。

パワハラ・セクハラの定義や「何がダメか」は、社労士さんや弁護士さんのお話を聞いて理解した。しかし、パワハラという言葉が知られるようになればなるほど、別の悩みが出てきたというのです。

「パワハラだと思われたら困るので、厳しいことが言えない。はっきり言えずに遠回しになってしまう」
「部下の言動がパワハラに該当すると思うのだが、どう伝えれば本人に理解してもらえるだろうか」

ある企業のコンプライアンス担当は、ハラスメント防止のための社内ポスターを作成しました。
その文言は、
「ハラスメント、いじめには、見て見ぬ振りをせず、声かけを!」
「ひとりで悩まず、まず相談を!」
とあります。

「まず相談を!」という文言はわかりやすく、実際に相談窓口を設置し、相談ルートを明確にしているので、どう行動すればよくわかります。

ところが、「見て見ぬ振りをせず、声かけを!」とは、一体全体どんな"声かけ"をすればよいのでしょうか。いじめをしている人に「それはよくないよ」と声をかけることは、仕事をしている現場で、本当にできることなのでしょうか。

ハラスメントが原因で自殺者を出してしまったある組織は、パワハラが行われている状況を、20名以上の人が見ていたそうです。確かにハラスメントを起こす本人は問題であり、厳重な対処が必要となります。しかし、実際にそれを見ていた人たちが、「見て見ぬ振りをせず、声かけを」することが難しかったからこそ、問題を止められなかったとも言えるでしょう。

パワハラは職場の力関係を背景に行われます。相手の「上の力」に介入するのは、とてもとても難しい。下手をすれば今度は自分がターゲットになってしまうかも、どうせ言っても何も変わらない、あの人はそんな人だ、という無力感が、職場全体でコミュニケーションの意欲さえもなくしてしまう。だからこそ、介入のための"伝え方"には工夫が必要になるのです。

アサーティブでは、まずは「伝える側」の訓練から始めます。ハラスメントにならない、モノの言い方を、しっかり訓練します。
次に、ハラスメントに当たる言動をしている他者に、きちんと介入する訓練も行います。

時間があれば行いたいのは、「言われる側」の対処の仕方です。きつい言葉を言われたから、即、パワハラだ、というのではなく、相手の言葉の裏にあるメッセージを受け止め、問題解決の方向に向かって行ける力をつける訓練です。

人間関係が複雑になればなるほど、言葉が相手を傷つけるリスクも高くなっていきます。だからこそ、言葉と同時に心(マインド)でも、自分も相手も尊重できる土台を持ちながら、人間関係を築いていけるようになりたいですね。

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傷つきやすさは大事なこと

カテゴリー:汐生の思い

2015.02.05

大変ご無沙汰しております。前回のエントリーから、なんと半年以上もたってしまいました。今年度の夏から秋にかけて出張続きで、ゆっくり息をつく暇もなく、2015年の新しい年になってしまいました。

今年の抱負は、「最低月に1回(できたら2回)はブログを更新する!」に、いたします。

今年最初のエントリーは、ちょっと長いものになります。ご了承ください。

先週末に、アサーティブジャパンの会員合宿研修がありました。私は2日目に参加して、「ゆるセクシュアリティ」というテーマで、皆さんと一緒に取り組みました。私自身がとても大切にしてきたテーマを、久しぶりに皆さんと分かち合った1日となりました。

セクシュアリティとアサーティブ、一体どのような関係があるのでしょうか。不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。ここで少しだけ、説明をしてみます。

アサーティブなコミュニケーションのスキルは、今では圧倒的に職場の場面で活用されています。立場の上下がある職場で、職位の上下はあったとしても、お互いを対等に尊重しながら、率直に誠実にコミュニケーションを取っていくことです。職場でのアサーティブは、ある程度"型"を学べばできます。伝え方のノウハウもそろってきて、「こんな風に言葉を選べば、かなりの確率で相手に伝えることができる」というものになってきました。

その一方で、今もなお難易度の高いテーマがあります。身近な関係の中でのアサーティブです。職場のように"役割"でもって話をするのは、ある意味簡単です。しかしながら、役割からではなく「はだかの自分」、つまり「素の自分」でもって、自分も相手も尊重しながらアサーティブに振る舞うというのは、とってもとっても難しい。それは、相手との関係の中にある、言葉にならない思い、蓋をしてしまった過去、見ないふりをしてきた怒りや悲しみにまで触れてしまうような、傷つきやすいテーマが多く隠れているからです。

傷つきやすく、無防備であることを、英語では、vulnerableと言います。この言葉は、セクシュアリティのテーマを語るときに、とても言い当てていると思います。

セクシュアリティでカバーするものは、多岐にわたります。自分の体のこと、自分自身の感情、年齢のこと、年を重ねていくことの不安、パートナーとの関係のあり方、変化を受け入れること、子どもを持つのか持たないかに係ること、どんな人を好きになるのか、どんな生き方を選ぶのか...。まさに、私たちの"生き方"と"自己信頼"そのものに真正面から向き合うことばかりです。

同時に、あまりにも個的な領域であるにも関わらず、一旦外に出ると、容赦のない評価や序列のまなざしが向けられてしまうのも、このテーマの特徴です。体のこと一つとっても、「何が良い/悪い」「美しい/醜い」という評価に、あっという間にさらされてしまう。

自分にとって、とても、とても大事なことなのに、それを言葉にすることは、批判にさらされるリスクが高く、しかも傷つきやすい(vulnerable)ものばかり。だから、誰にも言わないで、心の中にしまっておく、隠しておく、ないふりをする、平気なふりをしてしまうのです。社会の"普通である"ことのプレッシャーの中で、そこから外れたとたんに、すぐに自分と他者の間に上下関係が出来てしまうことになる。だから、語ることも取り組むことも難しくなるのですね。

アサーティブは、そこの部分を避けて通ることなく、向き合います。アサーティブの土台にある"自己信頼"や"内側の力"は、外にある社会的な上下の価値観を取り入れて自分と他人を比べてしまいそうな時にも、その"はしご"を相対化し、他者と本当の意味で対等にかかわる力を取り戻すことにあります。

そのためには、自分の中の「傷つきやすい(vulnerable)」部分について、評価したり比較したりするのではない、安全な安心な場所で、自分が抱えてきた悲しみや怒り、恐れや不安、喜びについて、語り合えることが必要になります。そういう場を持たないと、永遠に大切で傷つきやすい自分の一部を、他者と分かち合うことができなくなってしまうのです。

言葉にすることで初めて、私たちは自分の中の"はしご"を相対化することができます。相対化することで初めて、「自分もつらかった」、と同時に「あなたもつらい体験をしたんだね」と、共感する地平に立つことができ、必要なことはもう一度大切に扱い、必要でなくなったものは手放す、ことができるのではないでしょうか。

話し始めると止まらなくなるこのテーマですが、皆さん深いところで心を開き、語り合い、分かち合い、自分の"今"と"過去"を振り返りながら、やっぱり前向きに生きて行こうと思うことのできた1日となりました。

私自身にとっても、自分の人生の中で何を大切に生きていきたいのかを、美しい自然の中で、改めて考える時間となりました。ご参加の皆さま、素敵な時間をありがとうございました。


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不安をコントロールする

カテゴリー:汐生の思い

2014.04.24

職場での上下関係(上司と部下)、役割上の力関係(親と子)、社会的通念としての上下関係(年齢の差、性別の差)、知識や情報の量の違いなどによる上下関係...。このように、力関係や上下関係が存在する相手と対立するような状況になった時に、アサーティブに振る舞うことのハードルはぐっと高くなります。そんな時でも、相手に敬意を払うことを忘れることなく、誠実に対等に向き合って話し合うためには、何が必要となるのでしょうか。

対立する状況や感情的になりそうな場面で、最初に対処するべきものは、自分自身の「不安」です。心の中に生まれる不安に対して、自分がどのように向き合うかが、その後の私たちの行動を決めてしまうからです。

不安を感じる場面に直面すると、私たちは最もなじんでいる行動パターンを取ります。不安を隠そうとして相手を攻撃するか、不安に飲まれて口をつむぐか、の二つです。そこで、不安である自分の感情をきちんと認めた上で、振る舞いやコミュニケーションをコントロールし、自分も相手も責めない行動を選ぶことが、アサーティブな態度であるといえるでしょう。

意識したいのは、次の二つです。
「ここで反撃しない」、「ここで黙ることはしない」と、自分自身の中で覚悟を決めること。そして、難しい局面でも、誠実に、対等に話をする具体的なスキルを身につけていることです。
勇気とスキルのどちらが欠けても、アサーティブな選択はうまくいきません。

ずいぶん前のことになりますが、障害を持った私の友人が、緊急入院をした時のことです。彼女の容体に対しての医師の指示は、本人が望むものとは正反対のことでした。医師は居丈高な様子で一方的に指示を出し、それに対して私は反発、彼女の家族は言葉を飲み込んで黙るというものでした。

その場で友人は、大変アサーティブな対応をしました。ケンカ腰になることもなく黙ることもなく、静かに落ち着いた声で、相手の顔を見ながらしっかりとコミュニケーションをとったのです。

「〇〇先生のお気持ちはよくわかります。ただ、私としましては△△を望んでおります。ご検討をお願いできないでしょうか」
確か、そんな主張だったように記憶しています。

その時の友人の態度は、今も忘れることができません。医師に比べて自分が"弱い立場" (患者・障がい者)であったとしても、自分自身に対する誇りを失うことなく、相手を責めることもなく、落ち着いて、しっかりと顔を見てコミュニケーションを取ったのです。その結果、ドクターと友人は対等に話し合うことができました。

自分自身に敬意を払い、相手にも同様の敬意を静かに求めると、立場の違いよりも人間としての対等性の方がより鮮明に見えてくるのかもしれません。対等になりづらい関係であっても、相手の立場や価値観を尊重し、相手の人間である部分をしっかりと見据えたうえで、誠心誠意こころを傾けて話をすることで、人間としての対等なかかわりと対話の扉が開くのだということを、その友人の勇気ある行動から私は学ぶことができました。

不安な時こそ、不安から目をそらすことなく、勇気とスキルをもって向き合うこと。それを常に自分自身で意識したいと思います。

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