2010/1/22 汐生の思い

「責任」の意味

1月21日放映のNHK「クローズアップ現代」、『"助けて"と言えない?共鳴する30代?』を食い入るように観てしまいました。そこで助けを求められない30代の男性が、「それは自己が悪いから」とつぶやく場面が放映され、3日で2,000件以上の反響があったそうです。

「自己責任」という言葉が意識の中に埋め込まれ、「今の自分は努力しなかった結果だ」「つい自分を責める」という30代。「自己責任」という言葉をメディアで聞くたびに、アサーティブネスで使用する四つの柱の一つであるこの言葉の使い方について意識せざるを得ません。

「アサーティブネスの自己責任とは」というテーマで、以前も同様のことを書きましたので、今回は「責任」という言葉自体を取り上げて考えてみたいと思います。

アサーティブネスの「自己責任」のもともとの英語は、"RESPONSIBILITY"です。この単語を、プログラム作成の段階で私自身が「自己責任」と日本語に訳し、それ以降使用し続けております。

アサーティブなコミュニケーションの土台となるRESPONSIBILITY(責任)とは、問題の原因は自分自身にあると自分を責めることでは決してありません。あるいは、責任の所在を誰かに帰属させることでもありません。RESPONSIBILITYとは、英語で、「RESPONSE」(応対する)+「ABILITY」(能力)、つまり、外に起こる出来事に応対することができる力、を、RESPONSIBILITY(責任)と言っているのです。

REPONSIBILITYのない会話とはどういうものになるのでしょうか。
「上司が○○だから、私はこうなる」「あの人が○○しないから、私はこうなってしまう」と自分の振る舞いは誰かのせいであると言ったり、「言えるような雰囲気ではないから・・・」「どうせ聞いてもらえないから・・・」と自分の行動は外界のせいにしようとします。つまり、自分にはRESPONSE+ABILITY(応対する力)はなく、他人や外界に対して無力であるということが、責任のない会話となるわけです。

アサーティブな力とは、自分は無力ではないところから出発します。あるいは誰かのせいで自分の振る舞いや行動が決められるのではないところから会話を始めます。自分で考え、自分で選択する力がある、ということを本当に信じることが、アサーティブネスの責任なのです。

アサーティブであるとは、個人の内側の力を発揮した主体的なありようを言います。自己責任論が個人の無力感を増長するのであれば、それはどこか間違っていると思えてなりません。