2020/9/16 講座から

本当の思いやり(Compassion)とは

イギリス在住のアサーティブトレーナーであるアン・ディクソンさんは、常にアサーティブの思想を支える「バランス」の考えについて話をされます。自分の意見を主張する力と、相手に対する思いやりを持つ力と、その二つのバランスです。

 

相手への「思いやり」と書きましたが、正確には英語で「compassion」という言葉となります。Compassionは日本語に訳すのが非常に難しい言葉の一つで、英語の辞書には「同情心」とか「哀れみ」と訳されています。でも、ちょっとニュアンスが違います。直訳すると、「他者の苦しみや不幸に対して同じように心を痛めること」という意味になります。

 

その言葉を私自身が痛感し、「なるほどそうだったのか」と腑に落ちたのは、母親との関係でした。

 

ある時から、母親との関係が非常に悪化したことがあります。些細なことでけんかになり、売り言葉に買い言葉、時に傷つけるような言葉も投げたと思います。私の心の中は、「悪いのは母だ、私は絶対に悪くない」と自分を100%正当化する気持ちでいっぱいでした。相手は“悪者”であり間違っていて、私は“被害者”であり正しい。だから苦しんでいるのは私の方なのだ、と、長い間疑うこともありませんでした。

 

当時の私の態度は、きっと非常に攻撃的で上から目線だったのだろうと思います。

 

でも、アンさんの話を聞いてしばらくたった頃、何かのはずみで、ふと気づいたことがありました。

 

「この人も、また、苦しんでいるのかもしれない」という事実です。

 

「自分と同じように、相手もまた苦しんでいる一人の人間だ」という認識は、正直驚きでした。苦しんでいるのは自分だけだと思っていましたし、こちらを苦しめる相手は、鬼か悪魔か、とんでもない悪者だということを疑うこともありませんでした。なので、相手も苦しんでいるのかも、という発想は一ミリもなかったのです。

 

それを認識してから、母親に対して心の中で振り上げていたこぶしが、いつのまにかなくなっていることに気づきました。「悪者」にしか見えなった相手が、「ひとりの無防備な人間」であり、「痛みを抱えながらも必死に生きているひとりの女性」として見えてきたからです。

 

それ以来、ふとしたはずみで発せられる否定的な言葉に傷つくことは減りました。そして、少しずつ、少しずつ話ができるようになり、時間をかけてお互いを尊重できる関係にまで回復しました。そこに至るまでの道のりに、軽く3年はかかったでしょうか。母親の感じることや思うことは、自分とは違うけれど、それもまた彼女が考え、悩み、大事にしていることなのだと、心から思えるようになりました。

 

相手を「悪者」だと思っていれば、攻撃することは簡単にできます。でも、相手も同じように苦しんでいる一人の人間なのだ、という認識を持つことで、攻撃的ではないやり方で話そうと思えてくる。対等な話し合いの土壌に立つ、とは、そういうことなのかもしれません。たとえ対立しても、ぶつかっても、様々な事情や気持ちを抱えた者同士として、人間としての対等な関係を築くことは可能になるのではないでしょうか。

 

同情や哀れみのようにこちらが高みにたって相手を見ることでもなく、単に「あなたの気持ちもわかるけど」的な共感の言葉でもない。喜びも悲しみも、苦しみも抱えた対等な人間として向き合った上で、たとえ意見が合わなくても、抱えている痛みについては理解しようとする覚悟があるよという「compassion」を、私も常に持てるようになりたいと思います。相手の行動の向こう側にある、ほんとうの思いに届こうとする努力をしながらも、自分の思いは言葉にするというバランスを持っていたいと思います。

 

真摯に誠実に、相手と向き合う。アサーティブの「相手を尊重する」という意味は、compassionの言葉を通して理解してみるとよいかもしれません。