#43
つたわるノート

対立から協力の関係へ(発達障がいをもつ子の親として)書き手:森田汐生(アサーティブジャパン 代表)

「発達障がいをもつ親の会」を主催しているAさんのお話をご紹介いたします。
Aさんはアサーティブコミュニケーションを学んで2~3年たつのですが、「親の会」の中でアサーティブの自主的な勉強会を始めてから、メンバーの皆さんと担任の先生との関係が少しずつ変わってきたそうです。

初めのうちは、メンバーは自分の悩みを共有することで精一杯でした。
「うちの子はこういう子だからと話したいが、忙しい先生に色々頼むのは申し訳なくて話せない」「何度言っても先生はあれをやってくれない、これをやってくれない」と、自分の立場を低めたまま、お互いに悩みや愚痴を話していたのですが、アサーティブを学ぶうちに少しずつ、「担任の先生にアサーティブに言ってみよう」という方向になってきました。

「うちの子が〇〇という支援を受けられれば、より良い学校生活を送れるようになります。なので、是非とも〇〇をお願いしたいんです」。適切な支援を受けられるように、具体的に、率直に必要な支援を要望すること。
まずは、それが第一歩でした。

その中で徐々に、「相手の立場の理解」ができるようになってきます。
つまり、「先生はこちらの要望を聞いてくれない悪い人で、自分は犠牲者である」として考えてきたのですが、徐々に「先生も忙しい中でできる限り精一杯がんばってくれている一人の人間なんだ」と、先生のことも理解しながら話ができるようになってきます。その結果、担任の先生ともっと対等に話ができるようになったというのです。
それが第二歩です。

その上で、これまで要望ばかりをしていた自分自身の「責任」について、思いをはせるようになりました。つまり、「自分も、これまできちんと要望を伝えてこなかった」という自分の「言わなかった責任」を認められるようになってくる。その結果、自分ばかりが先生に要望する一方的な関係になるのではなく、自分もできることは精一杯やりますから先生もどうか言って下さいね、と、対等な立場で、一緒に子どもの成長に向き合っていく大人同士として、協力的に話し合いができるようになった、というのです。

社会の差別や偏見、問題の渦中にいると、どうしても「当事者」=ものが言えない被害者 v.s.「相手」=こちらを抑圧する悪者、としての構図に飲み込まれてしまいがちになります。しかし、アサーティブを知ることで、たとえ差別や理解のなさの対象であったとしても、だからといって自分は被害者でも犠牲者でもなく、自己卑下しないで振る舞えるようになる。同時に、相手を「悪者」として見るのではなく、問題を解決していく「協力者」として、対等に話ができるようになってくる。

そんなストーリーをAさんから聞いて、本当に感動し勇気をいただきました。

自分自身と周りとを、少しずつ少しずつ変えていくこと。自分も相手も尊重しながら、粘り強く対話を続けていくこと。そんな取り組みを、社会の様々な場所で展開していく力をつけていきたいとあらためて感じています。