#44
つたわるノート

病を得た夫と私の物語書き手:アサーティブジャパン トレーナー

2017年のある日。まだ明けやらぬ早朝、夫はベッドの上で息絶えていました。救急車に消防車、そして警察の事情聴取。さらに主治医の死亡確認。混乱の極みともいえる長い一日が始まりました。

振り返れば、2006年の4月がそもそもの始まりでした。心筋梗塞のステント治療中に血栓が飛び脳梗塞に。その結果、左半身麻痺と高次脳機能障害。半年の入院生活とリハビリから帰ってきた彼は、すっかり別の人でした。

あれほど高かった能力は失われ、小学生くらいの知的能力になっていました。理性と洞察力は失われ感情や欲望がいつも最優先されました。
病気ゆえの問題行動が次々と起こり、何をしでかすかわからないという不安の中、病気のせいだと頭ではわかっていても、怒りに翻弄され続けた日々でした。

でもそんな私を助けたのは、アサーティブで培ってきた「私の気持ちと向き合う」ことでした。
「自分の気持ちや願いがどこにあるか、それが分からなければ、どれほど言葉を尽くしても相手に伝わらない」という学びの中で、私の中で何が起きているかを見つめる習慣が身についていたのです。

そのため、夫に怒りを爆発させる私の奥深いところには、大好きだった彼はもうどこにもいないという深い喪失の悲しみがあることに気が付きました。怒りの形相で夫に暴言を吐く自分を受け止めきれなくても、その底に悲しみが渦巻いていることが分かると、私自身を受容することができたのです。それは「わたし」という心強い理解者を得ることでした。

倒れて後の夫は人格が変わりましたが、悪いところばかりではありませんでした。愉快なことを見つけては、子どものように屈託なくよく笑いました。周りの人たちもつられて思わず笑ってしまいます。人が大好きでした。誰とでも親しくなろうとしました。彼は能力で人を魅了することはできなくなりましたが、いわゆる人の良さや親しみやすさが夫の魅力にとってかわりました。

彼を見送った二か月後、私は一人旅の列車の中にいました。
悲しみと混乱と、まだまだ整理のつかないどうしようもない気持ちを抱えて、過ぎ行く車窓の景色を眺めていました。それにしても彼は様々なものを私に残して逝ってしまいました。

人の能力のなんと儚いことか。人の能力と人としての価値は、どう関連するのかといった疑問。また、倒れる以前の夫と倒れて後の夫は別の人格を持ったパートナーでしたから、2度の結婚をし、二人の夫を喪ったという感覚。これらの意味が私なりに腑に落ちるには、年月を要すことでしょう。でも掘り下げることが、彼を偲び悼むことになるような気がするのです。

私がアサーティブ講座に行くことを勧めたのは彼だったことを思うと、アサーティブトレーニングとの出会いも夫が残してくれたもののように思えます。そしてその出会いが、困難との向き合い方を教えてくれました。

前述したことの繰り返しになりますが、苦しみ、悲しみ、怒りで進むべき方向が見えなくなったとき、その感情と丁寧につきあい、その背後にあるものは何なのか、私自身を見つめるようになっていました。それができたのは、繰り返し受けてきたトレーニングがあったからでした。自分の気持ちに向き合うというのはアサーティブの基本で、そしてまたとてもシンプルなことではあります。けれどその学びは、疾風怒濤のごとく押し寄せてくる困難のさなかにあるときでさえ、不思議と私に自信のようなものをもたらしてくれました。「大丈夫、私は自分を見失わずに生きていける」そんなふうにどこか頭の片隅で想い続けていたふしがあります。

高校の同級生でもあった夫と共に過ごした年月は、私の人生の大半を占めるものです。それだけに、彼がいなくなったことがいまだに信じられません。

しかし「あなたに長いこと会っていないねえ」と一人でつぶやいた後「ああ、やっぱりあなたはもういないんだね」と再び独り言が続くと、寂しさが身体じゅうを巡ります。悲しみのなくなる日は来ないけれど寂しさの和らぐ時が来るまで、泣きたいときは涙は流れるままに任せようと思っています。