2009/7/16 講座から

コミュニケーションの場を作る

今週号の『AERA』の内田樹さんの記事のタイトルは、「本当の『コミュニケーション能力』」。

最近の学生さんが「コミュニケーション能力」を上げたいと言うことに対して、内田さんは言います。「コミュニケーション能力とは何よりもまず『コミュニケーションの場を立ち上げる能力』であり、自他を結ぶ通信の回線が『生きている』ことを確認するいくつかの手だてを知っているということ」だと(『AERA』(7/20号p13)。

私も最近の学生さんたちを見ていると、コミュニケーションの場自体が失われつつあることを感じます。

というのも、彼らにとってイヤな人間関係は切ればいい、思うとおりに動かなければ機械のように交換すればいい、切り捨ててしまえばいいという感覚があるようだからです。しかも、メールを使って、です。

メールでは、イヤな気持ちや反論なども、簡単に相手に送ることができてしまいます。結構きつい発言も、メールで書いてポンと送信すればアッという間に相手に届き、相手の反応を直接見なくて済むので、送信した側はそのときはすっきりします。相手がどれくらい動揺したかは、その場ではわかりません。そして、相手から痛い反応が返ってくれば、その人との関係を切ればいいのです。

学生さんたちの様子を見ていると、きつい言葉をメールで送ることは簡単にできても、直接会ってきついことを伝えるのは苦手だと感じている人がほとんどです。

相手に耳の痛いことを伝えなければならないことも、人間関係にはたくさんあります。イヤな関係を続けなければならないことは、会社でも親戚づきあいでも、山ほどあります。コミュニケーションを取るということは、言いたいことを言うだけではなく、言いたくないことを言わなければならないことも含むからです。

学生さんたちに伝えなければならないのは、どのようにコミュニケーションを取るのかではなく、むしろ「なぜコミュニケーションを取る必要があるのか」。メールで済ませず、なぜ顔を見て話し、イヤな気持ちも味わい、腹を立てたり嬉しく思ったりしながら一緒にコミュニケーションのプロセスを共有することが必要なのか、ということになっています。

メールやインターネットの発達は、私たちのコミュニケーションの領域をこれまで以上に大きく広げてくれました。しかしながら、コミュニケーションとは、単に文字情報を伝えるだけのものではありません。思いや深い感情の動き、言葉にならない部分の心の痛みや悲しみ、喜びも含め、トータルなものとして相手を理解していくことが、コミュニケーションではないでしょうか。内田さんの言う『コミュニケーションの場を立ち上げる能力』があって初めて、そうした相互理解のプロセスが可能になるのだと思います。