2010/8/1 汐生の思い

他責型とアサーティブネス

最近講座にいらっしゃる方々のお話を聞きながら、時代は変わってきたなあとつくづく感じることがあります。「自責的な人」が減り「他責的な人」が増えてきた、ということです。

以前(おおよそ10年くらい前まで)の日本社会は、どちらかというと自責的な人がアサーティブネスを学びにきていました。相手の気持ちを考えすぎるあまり自己主張ができない、自分の気持ちがわからない、自己表現の権利もない。そういう理由で苦しんでいる人たちがトレーニングに参加されていました。

ところが最近は、自分の気持ちははっきりしているし意見を言えてはいるけれど、伝え方が問題になって人間関係に悩んでいる、という人が増えてきました。アサーティブなコミュニケーションのチェックリストでも、「できる」という項目にたくさん○がつくのですが、現実生活ではうまくいかない、というような。そういう方たちの課題を聞いていると、「自分はこんなに言っているのにわからない相手が悪い」と責めていることがほとんどです。

他責傾向にある人の事例としては、こんなものです。「誰かが何かを言う(する)⇒ 自分は嫌な気持ちになる ⇒ だからもう言わないで(しないで)ほしいと言いたい」。

これをアサーティブなスキルを駆使して伝えることは、技術的には可能です。しかしながらこれを伝えたら人間関係は改善するどころか、逆に悪化してしまうことになるでしょう。単にスキルの問題ではないのです。

アサーティブなマインドの一つとして、「問題」と「人」とを分ける、ということがあります。相手という「人」を人間として尊重しつつも、お互いの間に横たわる「問題」に対しては真摯に向き合い解決していこうとする姿勢です。そして、この問題を作ってきたのは自分にも責任があるかもしれない、という謙虚さや誠実さを同時にあわせもった姿勢です。

他責的であるということは、どうやら「人」と「問題」を一緒にして、問題を起こす相手が悪いのだというところから出発しているようです。そして、そういう他責的な傾向を持つ人は、この10年確実に増えているような気がします。

他責的な土俵から降りるにはどうすればいいのでしょうか。一つには、自分自身も責任を負っていることを認めることではないでしょうか。自分も間違っていたかもしれない、自分の側にも何か問題があったのかもしれないと思ってみること。「他責」的な視点に縛られている人には、こうした物事へのアプローチの転換が、アサーティブに変わるきっかけとなると思います。

自責的な人に対しては、「自分も大丈夫、感じることはO.K.。主張していい、伝えていい」など、自己尊重感(セルフエスティーム)を築くことが大きな柱でした。他責的な人に対しては、相手を一人の人間として尊重し自分の責任に目を向けるという視点がアサーティブな対話への道筋となるのかもしれません。

この課題については引き続き考えていこうと思います。