2011/4/2 汐生の思い

自分で考えて、行動すること

震災から3週間がたちました。先週までの私のテーマは、「感情を言葉にしながら、それでも前向きに歩いていこう」というものでしたが、ここに来て少しずつ変わってきたように思います。アサーティブの四つの柱「誠実」「率直」「対等」「自己責任」の中でも、最近はとくに「自己責任」という言葉をくりかえし考えるようになりました。

考え込んでいる理由には二つあります。

一つは、風評被害が様々な悪い影響を日本全体に与えていることです。先日も出張前に立ち寄った場所で、「これから宮崎に行きます」と言ったら、「南だったらよかった。北のほうだったら怖いですよね」という反応が返ってきました。なるほど、不安というのはこういう風に広がっていくのだなと、妙に納得したのを覚えています。つまり、私たち「フツーの人たち」が風評被害を作っている。

先の見えない現状の中にいて、不安であることは当然のことでしょう。「安全だから大丈夫」とどんなに言われても、心の中では信じられないという思いもあると思います。しかしながら、不安を感じて言葉にすることと、不安を他人に伝播させて倍増させ、風評被害を作っていくこととは違います。私たちが被害を食い止めるためにできることは、「不安だよね、でもちゃんと向き合って対処しようよ」と、お互い励ましあうことではないでしょうか。

もう一つは、周りに振り回されて自分で考えることを止めている人たちを見かけることです。

震災の後で大量の情報が流れたと同時に、さまざまなデマも広がりました。情報の洪水に何を信じていいかわからず、センセーショナルな情報に振り回されたという人もいたと思います。衝動的に買占めをしてしまったり、チェーンメールを送ってしまったり。周りの情報をすべて鵜呑みにして、「○○に言われたから自分はこうする」とか「○○のせいで自分はこうなった」と、自分の行動を誰かのせいにしてしまう。

アサーティブの自己責任とは、自分の行動を自分で考え決定し、自分のネガティブな感情や自分のとった(あるいはとらなかった)行動を、誰かのせいにすることなく、自分で決めてその結果を引き受けるということです。「誰かのせいで」「誰かが言ったから」という理由だけだと、極言すれば自分の命さえも差し出してしまうことになりかねません。

私がアサーティブを大事にするのは、「アサーティブに振る舞う」強さや優しさもありますが、何よりも四つの柱を大事にした「アサーティブであること(Being Assertive)」という部分です。それは、どんな状況の中でも誰をも責めることなく、しっかりと自分で考え、目と耳と手を使い歩き、必要であれば議論し、そして自分で考えて、自分で選ぶという勇気と主体性を持って日々を生きていく、ということなのです。

決断を他人にゆだねることや、周囲の「空気」に同調することは、アサーティブな自己責任にはつながっていきません。自分がおかしいと思ったこと、どうかなと思うことがあるときは、そのまま流されるのではなく、現状に対する異議申し立ても賛成意見も、言葉にして議論をしていくことを選ぶ時期に来ているのではないかと思うのです。

風評を作らない、まき散らさない。そして、自分の頭で考えて自分で自分の行動の責任を負う。その二つを忘れないでいたいのです。

今回の震災で、残念ながら私たちがこれまで「安心」「安全」「大丈夫」だと思ったものが崩れてしまいました。でも、もしかしたら、これは私たちが「自分たちの力で」社会を作っていくチャンスなのかもしれません。政府が、お上が、何かをしてくれるという受身の体勢ではなく、自ら主体的に考え、行動し、人と協力し、手を差し伸べ助け合い、将来を見据えて必要な行動を起こしていく、まさに、「アサーティブに生きる」ことのチャンス。

このチャンスを未来につなげていきましょう。アサーティブな「自己責任」を意識して行動することは、今後ますます必要になっていくはずです。