2011/8/28 講座から

「アグレッシブ」の本当の意味

先日のアドバンス講座では、自分のネガティブな感情を他人のせいにしない、ということについて話し合いました。

私たちが日常で取りがちな、アサーティブではない振る舞いには、攻撃的、受身的、あるいは作為的な態度があります。その中でも、攻撃的なコミュニケーションは基本的に、「あなたが悪い」「自分が腹が立つのは相手ののせいだ」というスタンスに立っています。

それでは、常に自分を責め、「自分さえ我慢すれば」「相手が〇〇だから仕方ない」と思いがちな受身型のコミュニケーションはどうなのでしょう。あるいは、言葉ではなく態度で相手をコントロールする、作為的なコミュニケーションはどうでしょうか。

アサーティブなコミュニケーションが取り扱うものの一つに、対立状況の中で私たちが持たざるを得ない不安や恐怖があります。新しい事態への不安、立場の違う人と向き合う時の不安、対立状態になった時の恐怖、失敗や拒絶の恐怖。つまり、相手と向き合って話し合う前に、まずは自分が向き合うものは、自分の中の恐怖や不安なのです。

受身型のコミュニケーションは、一見「自分が悪い」ということで、相手を責めていないように見えますが、実は、自分の不安は相手によって引き起こされている、相手によって自分は損している、困っている、苦しんでいると、問題を引き起こしている原因は相手にあると考えていることには変わりありません。

実はこの、「自分は被害者」「相手は加害者」という思考パターンが、対等な話し合いを阻害している要因の一つなのです。コミュニケーションの表現の仕方が攻撃的か受身的かは、単に「表れているものが違う」だけであり、誰かを加害者にして責めているということには両者は同じスタンスにあります。

アン・ディクソン氏が来日した時、「アサーティブとはaggressiveではないやり方を選択し続けることだ」と、何度もくり返し話していました。英語の「aggressive」を訳すときに「攻撃的」と訳してしまうと、本来の意味から外れてしまうのだということを今さらながら反省しています。攻撃的であるというのは、表現の仕方がきついとか一方的であるということではなくて、相手を加害者にしているマインドそのものを指すからです。

私たちは、つらいとき、嫌な思いをするとき、自分の感じている嫌な思いは誰かのせいでもたらされたのだと思いがちです。そのほうが簡単だし、自分は無実でいられるからです。しかし、自分の怒りも嫌な気持ちも、誰かが意図的に起こしていることはまれで、自分の感情は誰かに持たされた、のではなくて、自分が感じている。それだけなのです。

相手を悪者にしない。ましてや加害者にしたり「敵」にしない。相手は、自分と同じ血の通った一人の人間であり、目の前の問題解決のパートナーである。「加害者」に見えたとしても、相手もまた「被害者」であるかもしれない、という事実に目を向けること。

本当に問題を解決していくためには、心の中の攻撃性と折り合いをつけていくしかないのかもしれません。