2011/10/7 出張から

異文化の理解は難しい

前回のエントリーからあっという間に1か月がたってしまいました。皆様ご無沙汰しています。国立のメインストリートのイチョウや桜の木々が、うっすらと色づき始めています。

急に涼しくなり「秋」を感じるようになったので、ふと秋のエピソードを思い出しました。

アサーティブは「ことばの力を使って」、対話を重ね問題解決をしていくものですが、「ことばの力」で伝わるものと伝わらないものがあるということを痛感することが時々あります。とりわけ、文化の違いによる「美しさ」の概念を理解し合うというのは、本当に難しいですね。

先月のことです。その日は「異文化コミュニケーション」というテーマで夜まで研修があり、私はアメリカ人講師と一緒に研修を担当していました。研修が終わって外に出ると、東の空にぽっかりと美しい月が。その日は「中秋の名月」にあたり、月がいつもに増して輝いている夜でした。

私:「ほお、月が、きれいですね」
相手:「ええっ、月の何が?」
私:「ほら、あの空の月、9月の月は本当にきれい」
相手:「うーん、そうですかねぇ・・・」

"Beautiful"をくり返しても、「日本には"中秋の名月"を愛でるという文化があるのだ」と伝えても、文化の存在については理解してもらえても、実際の月の"美しさ"そのものを理解してもらうことは空振りに終わりました。

美しさを感じるのは、たぶんに私たちの生まれや文化、何をもって美しいと感じるのかという刷り込みによるものなのでしょうね。どの国の人が見てもすばらしいと感じる世界遺産もありますが、中秋の名月の美しさについては、かなりの部分、日本の文化の刷り込みによるのだなと痛感しました。

後日の会議で、一人のスタッフが「あの夜はとっても月がきれいだったので、お団子を食べながらじっと月を愛でていた」という話にスタッフ全員がうなずいていて、言葉を介しなくとも共通理解が得られることと、異文化理解の難しさについてしみじみ感じたのでした。

言葉の力を尽くしても、理解しあえないものはあります。それが良い、悪いではなくて、「違う」ということそのものを受け入れ、葛藤し、それでも一緒に生きていくことを選択する。異文化理解、相互理解というものは、そうしたことの積み重ねの上にあるのでしょうね。

中秋の名月の体験から、もう一度そんなことを感じた夜でした。