2012/2/7 谷澤久美子

監督の体験がベースにある「一枚のハガキ」

こんにちは。映画好きのアサーティブジャパン認定講師谷澤久美子(くみ)です。

ichimainohagaki.jpg久しぶりに邦画「一枚のハガキ」を映画館で観ました。ドラマ「それでも、生きていく」で、大竹しのぶさんの演技の迫力に圧倒され、彼女の主演のこの映画を観たいと思ったのです。
 
先の戦争末期に召集された中年兵100名は、上官によるくじ引きで、次の任務が決められました。60名はフィリピンへ赴任、30名は潜水艦、10名は宝塚で掃除の仕事。

大竹しのぶさん扮する森川友子の夫定造は、運悪くフィリピンへと行くことに決定します。その夜、戦友の豊川悦司さん扮する松山啓太に、一枚のハガキを託すのです。「もし自分が死んで、おまえが生き残ったら、このハガキは届いていたことを、妻に言ってほしい。検閲が厳しくて返事が出せないが、しっかりと見たと伝えてほしい」。

森川友子は定造の戦死の知らせを受けた後、夫の両親から懇願され、定造の弟と結婚します。しかし弟も戦争にとられ、そして戦死。さらに、夫の両親も相次いで死んでしまい、ひとりぼっちであばら屋の家に残されます。そこに「一枚のハガキ」を持って表れる啓太。

くじ運だけで自分が生き残ったことに罪悪感を感じる啓太。夫が任務を決められたのは上官の引いたくじ、そんな理由で大切な人を亡くし、すべてを失った友子。

帰宅後、ネットでこの映画のことを調べると、このくじで運命を分けられたことは、新藤兼人監督の実体験に基づいていることを知りました。

100名のうち生き残ったのは6名。宝塚に赴任した10人が掃除の任務を終え、また上官のくじで4人が海防艦の機関銃士となり、残った6名が生きて終戦を迎え、そのうちの一人が新藤監督だったそうです。「戦争から帰ってきて、94人の魂がずっと私につきまとっていて、これをテーマにして生きてきました」と言っています。

こんな理不尽なことが行われていた戦争。

誰かに自分の命を委ね、それは自分の家族の人生までをも狂わすのに、自分の考えや選択肢を持ってもいけない。自分の行く道を選ぶなんてとんでもないことで、結果についても文句も言えない。約70年前、私たちの先人たちはその時代を生きたのです。

現代を生きる私たちの毎日の中にも、突然の自然災害や大きな事故、不安定な経済と、運命を呪いたくなることがありますが、そんな中でも、自分で考え、選び、行動をし、その行動の責任を負える、それが可能な環境だったとしたら、それを、精一杯使って生きなければ、くじ引きで死んでいった方々に申し訳が立たないように、私には思えました。

自分で考え、選び、行動をし、その行動の責任を負って生きていく事、それはイコール主体的に生きていくこと。そこに必要な力の一つが、周りの方々の理解を得られるように説明する力、つまりコミュニケーションの力ではないでしょうか。

私は、主体的に生きていこうとするいろいろな方々の学びの手伝いを、これからも一所懸命にしていきたいと、つくづくと思った訳なのです。

アン・ディクソン氏の本「第四の生き方」の裏表紙には、「他人に席は譲っても、人生の主役の座を、他人に譲ることはない」と書かれています。「一枚のハガキ」を見て、私はもう何度も読んでいるこの本を、もう一度手に取りました。

そうそう、もちろん大竹しのぶさんの演技の迫力は相当なものでしたよ。