2013/7/4 谷澤久美子

「集団の中の自分」と「ひとりの人間としての自分」
~映画「ウィ・アンド・アイ」を見ました

皆様、お久しぶりです。アサーティブジャパン認定講師、静岡在住の谷澤久美子です。

「The We and The I(ウィ・アンド・アイ)」というティーンエイジャーたちが主人公の映画を見てきました。

ニューヨークのブロンクスの高校から、子どもたちが飛び出て、次々とバスに乗り込みます。

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映画の舞台は、学年が終わり長い休みに入る日のバスの中。
市営のバスの中を我が者顔で乗っている高校生たちに、最初は腹立ちまくりの私。一番後ろの席に座っている小学生を座席からはがすようにどかせ、「俺らの席だから」と陣取ったり、それを注意する年を重ねた女性にセクハラまがいのふるまい。子どもの食べているプリンを横取りするし、大きな声であけすけな事をしゃべるし、顔に傷のある男性をからかい、赤ちゃんの前でタバコは吸うし、見てられない彼らの姿。

でも実はそれらは「The We」でいる時の彼ら。
集団でいる時は、その集団の中にいる自分をやるしかない、これが彼らの日常をやり過ごす方法なんだということが、一人また一人と仲間が降りていく度に、ちょっとずつあきらかになっていき、私はだんだんせつなくなっていったのです。

ティーンエイジャーの時代は、とにかく集団の中に自分の居場所を確保することが最優先。「素の自分自身」よりそっちの方がよっぽど大事なんですね。

バスは最後2人になります。2人になった時の一人一人は「The I」同士。さっき秘密の話をばらしたことを謝り、さんざん馬鹿にした詩や絵を認め合い、死んでしまった仲間を思って慰め合います。

この映画のテーマを3つのアサーティブな視点で考えてみました。

「集団の中にいる時の自分」と「素の自分自身」の間にズレがあると、なかなか生きづらいのが人生。

経験を積むことで、割り切ったり折り合いつけたりして生きていくことができるようにもなりますが、同時に、集団の中にいても「自分自身」を、せめて自分の中では大切にしていられたらいいなということがひとつ。

その時にはきっと、アサーティブの12の権利の
「1.私には日常的な役割にとらわれることなく、ひとりの人間として、自分の要求をはっきりと伝え、自分のための優先順位を決める権利がある」や

「11.私には、まわりの人からの評価に頼ることなく、人と接する権利がある」

なんかが後ろ盾になるんじゃないかな。

2つ目は、そのズレを小さくしたり、なくしたりすることに、アサーティブは役立つ!ってこと。

「アサーティブとは?」という質問にアン・ディクソン氏が答えた「自分自身に真実であること」とは、どこにいても誰といても、自分自身そのものであること(もちろん相手の権利を侵害しないで)。
そしてアサーティブは精神論だけでなく、スキルがあることが超現実的。ティーエイジャーの時代に「自分自身でいること」は結構ハードル高いけれど、でも、大人たちにはぜひぜひ挑戦してほしいな。

3点目、「集団の中の役割を演じる自分」ではない、「The I」でいられる他者や場をもっておくといいかも。

身近にそういう人がいたり、場があったりするととってもいいし、今思い当たる他者や場がない方には、アサーティブ・カフェをおすすめしたいです。東京と大阪で定期的に開かれているアサーティブ・カフェは、そういう場になっている模様!!!
(静岡でも3ヶ月に一度開催してます。AJ認定講師の講座をご覧くださいね)

バスの中、少人数になった時に、しみじみ語りあっていた彼らが、とっても頼もしくて、集団で傍若無人に振る舞っていた時より、ずっと強くみえました。

不安やさみしさを隠して横柄にふるまうより、不安やさみしさを認め、助けを乞うことの強さ!!!いろいろ考えた映画でしたよ。

映画「ウィ・アンド・アイ」公式サイト