2014/3/18 谷澤久美子

本当に話し合いたいことは何?

こんにちは。静岡在住のアサーティブジャパン認定講師谷澤久美子です。

映画「ビフォア・ミッドナイト」を見ました。
beforemidnight.jpg
18年前の第一作「恋人までの距離」で出会ったアメリカ人男性ジェシーとフランス人女性セリーヌ。9年前の第二作「ビフォア・サンセット」で再会し、その後一緒に暮らし結婚をして、双子の女の子をもうけ、彼は作家として、妻は環境問題の専門家として働いていることが、この第三作目「ビフォア・ミッドナイト」で分かります。

さてこの「ビフォア・ミッドナイト」、108分の上映時間中、ほとんどの時間、このカップルはおしゃべりしてます。

夫と息子(元妻との間の子どもで、元妻と一緒に暮らしている)とのこれからについてが発端となり、せっかくの休暇の最終日、ラブラブに過ごせそうだったのに、ついには言葉の暴力の応酬になるんです。あ〜これは思ってもみないことまで言ってしまっているなとか、今までの鬱憤をはらしているななど、まるでホントの夫婦?というリアルさで二人は会話のバトルをし続けます。

「もういい、出てく」と言って妻は部屋を出、パートナーがおいかけてこないと、戻ってきてまた罵倒を繰り返す場面では、妻の「私の気持ちはわかってよ」という怒りの裏の悲しい気持ちが、見ているほうにはイタいくらい伝わってきます。途中、妻が双子を出産した時の、寄る辺ないような不安な気持ちを吐露した場面があります。「二人のこどもを前にして、どうしていいかわからなかった」という、自分に誠実になった瞬間、夫もすこし心のジャッターが開いたかな?というシーンは、私は心の中で「いいぞ!いけ!アサーティブ」。

しかし、すぐにお互いの権利を主張し合うことに戻るんです。がっかり。

夫が話し合いたかったのは、元妻が育てている息子との地理的な距離のこと。多分、その心許なさを分かち合い、どうしたらいいのか建設的に話し合いたかったはずなのです。でも、妻としては、「その話題=引っ越し(しかもフランスからアメリカへ)」と飛躍して捕らえてしまい、その恐ろしさから、今までの子育ての不公平を攻撃的に並べ立てることで、自分を守ろうとしてるんですね。
それらが売り言葉に買い言葉、ドッカンがドッカンを呼んで、ついには「私はもう愛してない!」と。

冷静になった二人には、映画の中では次の展開が生まれます。
ただ、「息子との関わり方」という問題は棚上げ。

私は、この3部作の監督リンクレイターさんに提案したいです。

確かに近しい人との関係の中では、時には激しい喧嘩もいいし、こういうことを繰り返しながら、だんだんと考えが交わる箇所が大きくなっていけばいいけど、次回作では対話で物事を解決していくお手本になるような、そんな会話劇を見せてもらえませんか?

二人の関係が始まったところから見守り続けてきた観客に、お互いのことを大切にしながらも、自分の考えは表現しあう熟成した関係を、会話劇でみせてもらえたら、それは希望だと思うんです。

手始めに、どちらかが「このままじゃ、問題は解決しない」と、アサーティブ・トレーニング受けちゃうとか・・・!

映画「ビフォア・ミッドナイト」公式サイト