2022/12/22 アサーティブあれこれ

アサーティブと異文化間コミュニケーション

こんにちは。アサーティブジャパン理事・異文化間ファシリテーターの福岡里砂です。

 

突然ですが、自分が話している時に相手が相槌を打たなかったらどう感じますか?  
あるいは相手のミスを指摘しなくてはならない場面で、話している間ずっと、真正面から目を見据えられたら…? 
 
恐らく、前者では「本当に聞いてるのかな?」と不安になったり、後者は反抗的な態度に思えたり、威圧される感じがしたりするのではないでしょうか。 
 
日本ではごく自然な受け止め方ですが、もし相手が異なる文化圏で育っていた場合、このような態度「なのに」、実は最大限の誠意を持ってあなたの話を聞いているのかもしれません。 
(「文化」には幅広い意味がありますが、ここでは「人間の集団が持つ価値観、行動規範、言語、生活様式など」を指します) 
 
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私は90年代から仕事等でさまざまな国の人たちと関わり、多くの文化的な衝突の現場に立ち会ってきました。 (自分自身が当事者として苦労したことも山のように…) 
 
現在は、海外にもルーツを持つ子どもたちを支える東京のNPO、YSCグローバルスクールに関わり、アサーティブジャパンの理事も務めながら、自分の会社で異文化間ファシリテーターとしての活動をぼちぼち始めています。 
 
今回は「言語や文化が異なる人たちと接する時に何が起きるのか?」、「そうした状況で、どうアサーティブでいられるか?」を少しご紹介できたらと思います。 
 
冒頭に挙げた事例のポイントは、「相槌」と「視線」。 
 
日本では適度に相槌を打ち、特に共感や寄り添う姿勢を示す時には頻繁に反応しながら聞くのが良いとされていますよね。そして柔らかいアイコンタクト(時折視線を外したり、目を合わせる代わりに、顔の他の部分や首元をさりげなく見たり)が好まれ、注意を受けているような場面では顔がうつむきがちになります。 
 
ところが、これとは真逆の国々もあるのです。 
 
話を聞く時にやたら相槌を打たないことがしっかり聞いている態度だと好まれたり、対人関係で「はっきり目を合わせること」が重んじられ、「目を見て話せない=何かやましいことがある」という前提だったり。 
こうした文化背景の人たちに、「日本的な」態度で接するとどうなるでしょうか? たとえば海外で、 
 
●頻繁な相槌が「話の腰を折っている」と捉えられて嫌がられ、真面目に聞けと怒られた 
 
●教師に注意された日本人学生がうつむいて神妙に聞いていたら、ふてくされていると誤解された 
 
…などが実際に起きています。なんとも不幸な行き違いですよね。 
 
大抵は何らかのトラブルが起きるまで、このような文化差があることすらお互いに意識していません。予想外の展開に反射的に不快感をおぼえ、相手の行動や性格の問題だと捉えてしまいがちです。 
このような場面で、アサーティブトレーニングで培う姿勢やスキルが大いに活かされるのではないかと考えています。 
 
頭から決めつけず、対話を通して相手の言い分に耳を傾け、お互いを尊重すること。自分の感情や意図をはっきりと言葉で伝えること。答えはひとつだけではないし、状況に応じて変わってもいいと知っていること、などなど。 
 
たとえば、今回の例なら「相槌がなかったり、ずっと目を見られたりして居心地が悪かったけれど、この人の性格に問題があるとか、悪意を持っているわけではなくて、『自分とは文化が違う』からなんだろうな。相手の文化を尊重しながら、自分はあくまでも誠実に、率直に向き合おう」と捉えて行動に移せたら理想的だと思います。 
 
ただ、実際にはこれが難しいんですよね。頭でわかっていても、心や身体がついていかないこともよく起きます。 
 
そんなときは、自分のなかにわき起こるちょっとした違和感(マイナス感情)を正直に認めたうえで、ひょっとしたらその違和感は、文化や価値観の違いにあるのかもしれない、という視点を持つことで、相手を責めたり避けたりすることなく、対立ではなく理解をベースにした向き合い方ができるのかもしれません。 
 
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「郷に入っては郷に従え」。よく言われる言葉ですが、一方的な同化を強いる圧力を生む怖さもあります。 
 
私自身の海外生活でも痛感しましたが、移住先の文化にそれなりに適応できても、どこか無理をしていたり、自分の価値観や行動規範との隔たりが辛くなったりすると、心身に影響が出ることがあります。 
 
また、自分の中の「譲れない一線」に改めて気づき、ある事柄に対して「これを受け入れたら、自分が自分でなくなってしまう」とアイデンティティの葛藤を感じるような事態にも直面します。 

異文化背景を持つ人たちと日本で出会う時。または海外に出かける・住むなど、自らが異文化の中に入っていく時。自分の「あたりまえ」に固執せず、「相手に絶対合わせなきゃ」と気負い過ぎず、アサーティブに折り合いをつける道を探っていきたいものです。