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AJ代表日記

アサーティブジャパン代表の森田汐生が、講座での感想や、日々の生活の中で感じたアサーティブネスにまつわるエピソードをアップしていきます。
過去の記事はこちらからどうぞ。

遅まきながらツイッター

カテゴリー:汐生の思い

2010.06.28

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遅まきながら、ツイッターを始めることにしました。ブログに書ききれない、日常のちょっとした気づきやアサーティブネスに関する思いなどを綴っていきたいと思います。

ツイッターのアドレスは、http://twitter.com/shiom_m です。
アサーティブネスのコミュニティを広げていきたいと思いますので、ぜひこちらもよろしくお願いします。

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へこんだ時ほど「アサーティブ」

カテゴリー:汐生の思い

2010.06.11

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先月はいろんな意味で「へこんだ」月でした。へこむような出来事が次々と起こり、珍しく「あ~あ、私って・・・」「これでいいのだろうか」「大丈夫だろうか・・・」などと頭を抱え悩む日々が続きました。

やっぱり人生山あり谷あり(笑)。いいことがあれば、悪いこともある。心穏やかで「大丈夫!」と思えるときもあれば、めちゃめちゃ落ち込んで悩んでばかりのときもある。人間関係がうまくいくときも、うまくいかないときも、やっぱりある。アサーティブであれば、全て人生平穏で順風満帆である、わけない、のです(笑)。

「山」にいるときよりも「谷」にいるときのほうが、アサーティブネスの「力」が問われます。アン・ディクソンさんがくり返し伝えてくれた、「内側の力」。落ち込むようなことがあるときにこそ、「内側の力」を自分のために使えるかどうかが試されるのですね。

「内側の力」をアンさんは、「ろうそくの炎」と例えていました。大きくなったり小さくなったりしても、ちゃんと自分の中に燃えている炎。落ち込んだときにこそ、それでも自分にOKを出せるかどうかは、内側の力にかかっているのでしょう。

元気が出ないときは無理に元気を出すよりも、波に浮かんでいるようにほっかりと自然に任せるのが私にとってはいいようです。以前の私だったら、一生懸命"自分の問題に取り組んで"、問題解決をするために努力をしていたのですが、今回は「あがいても無駄、ゆっくり波に浮かんでいよう」と思うことにしました。

そして、毎朝の犬の散歩の時間を大切にしたり、ちょっとした笑いを大切にしたり、空を見上げたり、本を読みあさったり。そして毎回の研修や講座での出会いを一つひとつ大切にして、感謝の心を忘れないでおりました。

へこんでいても、大丈夫。へこんだり落ち込んだりするのは当然。でも、自分を責める必要はありません。ということで、しんどかった5月も終わり。6月も引き続き急がしい毎日ではありますが、ピラティスと水泳を始めました。プールで泳ぐのはなんと7年ぶり!全身運動をして心地のよい疲れで、夜もぐっすり眠れます。体が元気になれば心も元気になる。あせらず自分のペースで続けたいと思います。

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感動的な再会

カテゴリー:汐生の思い

2010.03.16

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すっかりご無沙汰してしまいました。2月から3月初めにかけて再び出張の"嵐"となり、西に東に飛び歩いておりました。やっと今週から事務所に戻ってきたところ、外の大きなモクレンの木がすっかり満開となっていました。この花を見るたびに、1年がたったんだなあと感慨深く感じます。

週末とても嬉しいことがありました。私は大学を卒業した後の1年間、日本社会事業大学の研究科で社会福祉の勉強をしていたのですが、学年半ばの9月の1ヶ月間は、国立障害者リハビリテーションセンターという場所で実習をしておりました。当時私は、親の反対を押し切って福祉の勉強をしていましたので、日中は勉強、夜はアルバイトの日々で、友人宅に泊まりこんで実習を続けておりました。

その時の実習先の指導教官が、O先生という先生でした。私は当時かなり理屈っぽい学生で、色々と先生に議論を吹っ掛けたり、福祉の理論で食らいついていたのですが、O先生は辛抱強く、あたたかく、そして厳しく指導をしてくださいました。現場でフルの業務をこなしながら、うるさい実習生を持つことは大変なことだろうなと、仕事をするようになった今の私は思います。しかしO先生はいやな顔一つしないで、私がびっしりと書いた実習記録や質問に、それ以上の内容で答えたり色々と教えて下さいました。

学生時代に尊敬できる大人に出会うとは、本当に幸せなことだと思います。4年間の大学時代は正直あまり心に残らなかったのですが、この研究生時代のO先生は、現場でのお仕事ぶりと、それを理論化しながら福祉の実践に結び付けている様子に、心から尊敬の念を感じたのを覚えています。いつかは先生にお礼を申し上げたいと思いながら、20年もたっていました。

ところが。先日、社会福祉士会での研修を担当させていただいたときに、その恩師のO先生のお名前を見つけて、飛び上るほど驚きました。先生はソーシャルワーカー歴40年で、大学の教授もされておりました。ドキドキしながらも研修後に先生のところに駆け寄ってご挨拶し、お礼を申し上げることができました。とても感動的な再会でした。

数日後、O先生から、先生が編著された本が送られてきました。長い手紙と一緒でした。
先生も私のことを覚えて下さっていて、再会を心から喜んでくださいました。そしてこの20年間、「命をかけて」福祉のプログラム作りをされてきたことが簡潔に述べられておりました。何度も何度もお手紙を読み返し、嬉しくなってお返事を書いたところです。

学生時代に出会う友だちや先生は、本当に一生の宝物です。どんなに長い時がたっても忘れられない出会い。今も心の中がぽかぽかしています。

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「責任」の意味

カテゴリー:汐生の思い

2010.01.22

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1月21日放映のNHK「クローズアップ現代」、『"助けて"と言えない~共鳴する30代~』を食い入るように観てしまいました。そこで助けを求められない30代の男性が、「それは自己が悪いから」とつぶやく場面が放映され、3日で2,000件以上の反響があったそうです。

「自己責任」という言葉が意識の中に埋め込まれ、「今の自分は努力しなかった結果だ」「つい自分を責める」という30代。「自己責任」という言葉をメディアで聞くたびに、アサーティブネスで使用する四つの柱の一つであるこの言葉の使い方について意識せざるを得ません。

「アサーティブネスの自己責任とは」というテーマで、以前も同様のことを書きましたので、今回は「責任」という言葉自体を取り上げて考えてみたいと思います。

アサーティブネスの「自己責任」のもともとの英語は、"RESPONSIBILITY"です。この単語を、プログラム作成の段階で私自身が「自己責任」と日本語に訳し、それ以降使用し続けております。

アサーティブなコミュニケーションの土台となるRESPONSIBILITY(責任)とは、問題の原因は自分自身にあると自分を責めることでは決してありません。あるいは、責任の所在を誰かに帰属させることでもありません。RESPONSIBILITYとは、英語で、「RESPONSE」(応対する)+「ABILITY」(能力)、つまり、外に起こる出来事に応対することができる力、を、RESPONSIBILITY(責任)と言っているのです。

REPONSIBILITYのない会話とはどういうものになるのでしょうか。
「上司が○○だから、私はこうなる」「あの人が○○しないから、私はこうなってしまう」と自分の振る舞いは誰かのせいであると言ったり、「言えるような雰囲気ではないから・・・」「どうせ聞いてもらえないから・・・」と自分の行動は外界のせいにしようとします。つまり、自分にはRESPONSE+ABILITY(応対する力)はなく、他人や外界に対して無力であるということが、責任のない会話となるわけです。

アサーティブな力とは、自分は無力ではないところから出発します。あるいは誰かのせいで自分の振る舞いや行動が決められるのではないところから会話を始めます。自分で考え、自分で選択する力がある、ということを本当に信じることが、アサーティブネスの責任なのです。

アサーティブであるとは、個人の内側の力を発揮した主体的なありようを言います。自己責任論が個人の無力感を増長するのであれば、それはどこか間違っていると思えてなりません。

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世界の半分は女性

カテゴリー:汐生の思い

2010.01.06

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half the sky.jpg
新しい年になりました。事務局も4日からスムーズに仕事始めとなりました。

お休み期間を利用して、いつもは読めない本を読んだという方も多かったのではないかと思います。私が読んだのは、ハードカバーの分厚い本、『HALF THE SKY』(Nicholas D. Kristof, Sheryl WuDunn 著 )。オーディオブックで一気に聴き(読み)終えました。

先進国に住んでいる私たちにとっては、性差別は徐々に解消されつつある課題の一つとしてとらえられがちです。しかしながら本書には、途上国における女性と少女への人権侵害のすさまじい状況が、克明に描かれています。どれほど多くの10代、20代の女性たちが性奴隷として人身売買され、また出産で死に至っているか。頭の隅でわかってはいたつもりでもその絶望的な実態を知り、驚愕しています。

途上国の、しかも周辺の村で起きているこれらの状況に絶望し、悲しみ、怒りながらも、同時に大きな希望を持つことができたのが本書の素晴らしいところでした。著者が描写するのは、インド、パキスタン、エチオピア、ジンバブエ、そしてアメリカの女性たち。絶望的な状況の中でも、一人の女性が立ち上がり、声を上げることで村が変わっていくストーリー(物語)を、著者は丁寧に語っているからです。

一人ひとりの女性のストーリー(物語)を読むことで、声を上げる勇気や変化を求める希望、同じコミュニティの人たちのために働く喜びを一緒に感じ、そして教育や医療制度、経済活動がどんなに女性たちをエンパワーしていくかを、感動的に知ることができました。

久しぶりに読みごたえのある、素晴らしい本に出会いました。東南アジアやアフリカの遠くの村を身近に感じ、私自身は何ができるのだろうかと考えるきっかけとなりました。2002年に1年間滞在したフィリピンの村で出会った、勇気のある女性たちの顔を何人も思い出しました。あきらめそうな状況の中でも希望を見失わないこと。人の命が等しく尊重される社会を目指して、粘り強く息の長い取り組みをしていくこと。今の社会状況の中でも、できることはある、ということ。

そんなことを怒りと涙と希望をもって、考えることのできたお休みでした。

日本語版は出版されていないようです。早く翻訳が出ますように。そしてより多くの人たちにこの本が手に取られますように。

考えると落ち込みそうな社会の現状ではありますが、今日の青い空のようにすがすがしい気持ちで年を始めることができそうです。

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