2012/5/9 汐生の思い

迷惑をかけあってこそ

先日、知人がこんな話をしてくれました。

一人の同僚が個人的な事情で仕事を辞めてしばらくした時、「ちょっと大変そうだから行ってみて」と別の同僚に声をかけられて、彼女の所を訪れたそうです。

元同僚が住んでいたのは、以前はとても賑やかだった大きな団地の5階の部屋。エレベーターがないために上り下りすることがしんどくなり、買い物にも行かずゴミを出すこともできず、足腰が弱ってすっかりやつれていたそうです。

「大変だったら声をかけてよ」と言ったところ、「大丈夫、大丈夫、誰にも迷惑をかけたくないし」と彼女。よそ様に迷惑をかけたくないということで、買い物をすることもゴミ出しをすることもなく、食事も満足にとらないでいたとか。知人は大量の買い物をして食事を作り、外に連れ出したのですが、「これから大丈夫かしら...」と心配していました。

「迷惑をかけてはいけない」という私たちの思い込み、「自分でやって一人前」という社会の通念。そうしたことが、「助けて」と言葉を発することを妨げているのでしょうか。

振り返ってみれば、私自身は、障害を持つ人たちと長い間深くかかわってきたということで、助けを求めるハードルは低くなったように思います。当たり前のことですが、障害を持っていれば日常生活のすべてにおいて「〇〇をやってください」と頼まなければ生きていけません。まずは頼んでみて、難しかったら相手は断るだろう、そうしたら「じゃあ、どうしようか」と話し合えばいい、というのが彼女たちのスタンスでした。相手がどう思うだろう...、嫌な思いをさせたらどうしよう...、というよりも、まずは頼んでみてそれから始まるというスタンス。それは、とてもアサーティブなコミュニケーションに近いところにありました。

「孤立死」という言葉が聞かれるようになった今、もう一度私たちは「迷惑をかけあわなければ生きていけない存在」であるということに、立ち戻ってみる必要があるように思います。ちょっと嫌なことがあってもそれはお互い様。嫌な思いをしたら「私は〇〇に困っているから、これからは△△してほしい」と率直に伝えてみればよいだけ。我慢するのでもなく、怒りを爆発させるのでもなく、誠実に率直に言ってみて、そして相手がノーであれば、別の方法を一緒に考える。

それくらいかかわり合う、踏み込みあう。

孤立死やメンタルな問題を防いでいくために、ますます私たちの人間関係のコミュニケーションの力が問われていくのでしょう。人とかかわり合う力を、もっともっとつけていくようにしていきたいと思います。